2016.02.29
神楽坂へ
久しぶりに‘神楽坂’へ行く。
今まで何回か来ていたのに気が付かなかったが、神楽坂下の道端に神楽坂の由来を書いた碑がある。
(いろいろ説があってハッキリしていないが、どれもお神楽に関している。)

そして、上の絵は1840年ごろに‘歌川広重’によるものだが、‘坂上から江戸城牛込御門を臨む’と書かれてある。

なので、神楽坂上まで上って行って、振り返る。

当たり前だが、当時の気配など全く感じられない。
ぶらぶら歩くと、前回来た時に在ったお店も、随分変わっている。
有名な粕漬やさんがなくなっているし、中華まんじゅうで有名なお店も、引っ越しをするとのことで閉まっていた。
裏道を行くと、ここにもねこカフェがある。
古民家らしいが。。。

表に出ているメニューにもビックリする。

面白そうだが、未だ営業前のようだ。(お昼からかな?)
(私が、お店の写真を撮っている間にも、2組の猫ファンが残念そうに通り過ぎて行く。)
疲れたので、テオブロマ(ジェラードとチョコのお店)に入る。
(このお店、いつ来ても混んでいるのだが、今日は何故か空いている。)
ジェラードを食べようと思ったのだが、ちょっと寒いようなのでティラミスにする。
(このお店のティラミス、上に載っているチョコレートがパラパラとしている。)

ゆっくり休んだつもりだが、お店を出ると、何故か疲れがどっと疲れた感じがする。
これからお昼を食べるつもりだったが、家に帰ることにする。
帰りの電車の中で居眠りをして、乗り過ごしてしまう。
今まで何回か来ていたのに気が付かなかったが、神楽坂下の道端に神楽坂の由来を書いた碑がある。
(いろいろ説があってハッキリしていないが、どれもお神楽に関している。)

そして、上の絵は1840年ごろに‘歌川広重’によるものだが、‘坂上から江戸城牛込御門を臨む’と書かれてある。

なので、神楽坂上まで上って行って、振り返る。

当たり前だが、当時の気配など全く感じられない。
ぶらぶら歩くと、前回来た時に在ったお店も、随分変わっている。
有名な粕漬やさんがなくなっているし、中華まんじゅうで有名なお店も、引っ越しをするとのことで閉まっていた。
裏道を行くと、ここにもねこカフェがある。
古民家らしいが。。。

表に出ているメニューにもビックリする。

面白そうだが、未だ営業前のようだ。(お昼からかな?)
(私が、お店の写真を撮っている間にも、2組の猫ファンが残念そうに通り過ぎて行く。)
疲れたので、テオブロマ(ジェラードとチョコのお店)に入る。
(このお店、いつ来ても混んでいるのだが、今日は何故か空いている。)
ジェラードを食べようと思ったのだが、ちょっと寒いようなのでティラミスにする。
(このお店のティラミス、上に載っているチョコレートがパラパラとしている。)

ゆっくり休んだつもりだが、お店を出ると、何故か疲れがどっと疲れた感じがする。
これからお昼を食べるつもりだったが、家に帰ることにする。
帰りの電車の中で居眠りをして、乗り過ごしてしまう。
2016.02.27
谷中猫カフェ
お墓参りの帰りに、谷中をぶらぶら歩く。
谷中1丁目辺りに差し掛かると、大きな‘ヒマラヤスギ’にぶつかる。
ここいら辺りは、江戸時代に三方地店(さんぽうちだな)と呼ばれた歴史のある地区だそうだ。

少し行くと、急な坂がある。

(昔からこの辺りに住んでいる)お年寄りが二人、大変そうに下って行く。
「この坂は何と言う名前ですか?」
「あら、名前は分からないけど。。。急坂と呼んでいます。」
(後で調べたところ、三浦坂と言うそうだ。)
更に聞くと、下るときはまだしも、登るときは(遠くても)別の道を行くと言う。
勿論、手すりなどないし車も通っているから、お年寄りにとってはかなり危ない坂道だ。
その坂の途中に、‘ねんねこ家’と言うカフェがある。

面白そうなので入ってみる。
客席はこんな感じ。(ネコは、6匹いるとのことだが、備品などもネコ、ネコ、ネコだ。)
炬燵(冬だからだろう)が4つ置かれている。

メニューは、ネコの形をした板に書かれている。

ネコの手白玉とコーヒーを注文する。

器類はすべてネコ。
このコーヒーカップも、ひっくり返して底を見るとネコだ。

で、ネコはと言うと。。。
私が座っている炬燵の布団を開けてみると、気持ちよさそうにねっころがっている。
(部屋には暖房も入っているから、かなりの暑さなのだが。)

そして、別の炬燵も覗いてみる。

こちらのネコは、シャンとしている。
16歳と言うことだから、かなりお年寄りなのだが、毛並みも良い。
このお店、毎日は開いていない。
木、金、土、日、祭日に営業していると言う。ラッキーだった。
お店を出て、またブラブラとする。
結局、昼食は‘鷹匠’へ入る。
いつもは‘鴨せいろ’を食べるのだが、今日は‘牡蠣せいろ’にする。

かなり大きな牡蠣が二つ入っていて、美味しかった。
谷中1丁目辺りに差し掛かると、大きな‘ヒマラヤスギ’にぶつかる。
ここいら辺りは、江戸時代に三方地店(さんぽうちだな)と呼ばれた歴史のある地区だそうだ。

少し行くと、急な坂がある。

(昔からこの辺りに住んでいる)お年寄りが二人、大変そうに下って行く。
「この坂は何と言う名前ですか?」
「あら、名前は分からないけど。。。急坂と呼んでいます。」
(後で調べたところ、三浦坂と言うそうだ。)
更に聞くと、下るときはまだしも、登るときは(遠くても)別の道を行くと言う。
勿論、手すりなどないし車も通っているから、お年寄りにとってはかなり危ない坂道だ。
その坂の途中に、‘ねんねこ家’と言うカフェがある。

面白そうなので入ってみる。
客席はこんな感じ。(ネコは、6匹いるとのことだが、備品などもネコ、ネコ、ネコだ。)
炬燵(冬だからだろう)が4つ置かれている。

メニューは、ネコの形をした板に書かれている。

ネコの手白玉とコーヒーを注文する。

器類はすべてネコ。
このコーヒーカップも、ひっくり返して底を見るとネコだ。

で、ネコはと言うと。。。
私が座っている炬燵の布団を開けてみると、気持ちよさそうにねっころがっている。
(部屋には暖房も入っているから、かなりの暑さなのだが。)

そして、別の炬燵も覗いてみる。

こちらのネコは、シャンとしている。
16歳と言うことだから、かなりお年寄りなのだが、毛並みも良い。
このお店、毎日は開いていない。
木、金、土、日、祭日に営業していると言う。ラッキーだった。
お店を出て、またブラブラとする。
結局、昼食は‘鷹匠’へ入る。
いつもは‘鴨せいろ’を食べるのだが、今日は‘牡蠣せいろ’にする。

かなり大きな牡蠣が二つ入っていて、美味しかった。
2016.02.25
あんみつ、マグロ丼、ビョンジンソプ
昨日TVで、亀戸天神の梅の模様を放映していた。
そして、ゲストが船橋屋の‘季節限定天神梅あんみつ’を食べていた。
早速出かけて行って食べたいと思ったのだが。。。
デパ地下で買うことにする。
「定番のあんみつと、季節限定の梅あんみつがありますがどちらにしますか?」
聞かれるまでもなく、梅あんみつを注文する。

なるほど、あんこは梅色をしていて梅味だ。そして、梅漬けが一つ入っている。
そして、デパートのイベント会場で‘鹿児島展’が開催されているとのことで、覗く。
‘薩摩揚げ’と‘焼酎’のお店が目立つ。
イートインは、ラーメンとマグロ丼のお店だ。
丁度お昼頃だったので、マグロ丼を食べる。

家に帰ると、友人が音楽CDを届けに来てくれた。
(数日前韓国に行った時に、韓国の友人から預かって来たとのことだ。)
韓国の‘ビョン・ジンソプ’という歌手の、先月発売された12集目のアルバムだ。
表には、私宛の直筆サインが入っている。
(韓国の友人が、わざわざサインを貰ってくれたのだ。)

3月末に、日本でコンサートを行うとのことだ。
行かなくちゃ!^^
そして、ゲストが船橋屋の‘季節限定天神梅あんみつ’を食べていた。
早速出かけて行って食べたいと思ったのだが。。。
デパ地下で買うことにする。
「定番のあんみつと、季節限定の梅あんみつがありますがどちらにしますか?」
聞かれるまでもなく、梅あんみつを注文する。

なるほど、あんこは梅色をしていて梅味だ。そして、梅漬けが一つ入っている。
そして、デパートのイベント会場で‘鹿児島展’が開催されているとのことで、覗く。
‘薩摩揚げ’と‘焼酎’のお店が目立つ。
イートインは、ラーメンとマグロ丼のお店だ。
丁度お昼頃だったので、マグロ丼を食べる。

家に帰ると、友人が音楽CDを届けに来てくれた。
(数日前韓国に行った時に、韓国の友人から預かって来たとのことだ。)
韓国の‘ビョン・ジンソプ’という歌手の、先月発売された12集目のアルバムだ。
表には、私宛の直筆サインが入っている。
(韓国の友人が、わざわざサインを貰ってくれたのだ。)

3月末に、日本でコンサートを行うとのことだ。
行かなくちゃ!^^
2016.02.22
小石川後楽園~牛天神
今日も梅を見に行こうと、お弁当を作る。
(久しぶりに、このお弁当箱を使う。)

しかし、今日は昨日宇のように暖かくない。
外で食べるには、寒いだろう。。。
考えた末、早お昼として家で食べ手出かけることにする。@@

梅の木が120本あると言う、小石川後楽園に行く。

梅林は、入って左側の奥辺りにまとまってある。

20種類ほどの梅があるとのことだが、このように木に種類の名前が付いている。
(これは、名前と反して、思いのままには撮れなかった。)

‘開運’、今年は良い年になればいいな~。

‘玉英’は、大輪の一重咲きだ。

‘見驚’は、八重の大輪で、淡紅から白に変わる。

‘紅千鳥’は、紅梅の一重で、旗弁が千鳥に似ていると言う。

‘白加賀’は、実梅で、梅干しや梅酒に適すそうだ。

未だ未だ写真は撮ったのだが、ボケちゃっているので載せられない。
(撮影者のボケが、写真に出たかな?)
後楽園の割と近くの、‘牛天神’(北野神社)も、梅が綺麗だと聞いたので行ってみる。

何と、この先は急な階段だ。

ふと左先を見ると、坂道(牛坂)があるので、坂道の方を上ることにする。

坂を上って、先程の階段を上から見るとこうだ。
私にとってはとんでもない階段だ。

牛天神も、学問の神様菅原道真を祀ってある。

おみくじは、この牛の形をしたところに結んである。

そして、源頼朝公が(奥州へ東征の途中、此の地で休まれ)腰掛け休息したという、牛の形をした岩がある。
この岩を撫でると願いが叶うという。

横に回ると、梅がある。

牛天神には、100本の梅の木があるとのことだが、そんなに沢山あるような感じはしない。
もしかして、私がパスしたあの急な階段の両サイドに植わっていたのかも知れない。
これだけの行程の中、3回喫茶店などで休んだのだが、ガックリ疲れた。
リウマチは大丈夫だろうか?
(久しぶりに、このお弁当箱を使う。)

しかし、今日は昨日宇のように暖かくない。
外で食べるには、寒いだろう。。。
考えた末、早お昼として家で食べ手出かけることにする。@@

梅の木が120本あると言う、小石川後楽園に行く。

梅林は、入って左側の奥辺りにまとまってある。

20種類ほどの梅があるとのことだが、このように木に種類の名前が付いている。
(これは、名前と反して、思いのままには撮れなかった。)

‘開運’、今年は良い年になればいいな~。

‘玉英’は、大輪の一重咲きだ。

‘見驚’は、八重の大輪で、淡紅から白に変わる。

‘紅千鳥’は、紅梅の一重で、旗弁が千鳥に似ていると言う。

‘白加賀’は、実梅で、梅干しや梅酒に適すそうだ。

未だ未だ写真は撮ったのだが、ボケちゃっているので載せられない。
(撮影者のボケが、写真に出たかな?)
後楽園の割と近くの、‘牛天神’(北野神社)も、梅が綺麗だと聞いたので行ってみる。

何と、この先は急な階段だ。

ふと左先を見ると、坂道(牛坂)があるので、坂道の方を上ることにする。

坂を上って、先程の階段を上から見るとこうだ。
私にとってはとんでもない階段だ。

牛天神も、学問の神様菅原道真を祀ってある。

おみくじは、この牛の形をしたところに結んである。

そして、源頼朝公が(奥州へ東征の途中、此の地で休まれ)腰掛け休息したという、牛の形をした岩がある。
この岩を撫でると願いが叶うという。

横に回ると、梅がある。

牛天神には、100本の梅の木があるとのことだが、そんなに沢山あるような感じはしない。
もしかして、私がパスしたあの急な階段の両サイドに植わっていたのかも知れない。
これだけの行程の中、3回喫茶店などで休んだのだが、ガックリ疲れた。
リウマチは大丈夫だろうか?
2016.02.21
新宿御苑へ梅を見に行く
昨夕から痛んでいた右肘の調子が、だいぶ良くなった。
お天気も良いし、朝食の残り物をお弁当にして、新宿御苑へ梅を見に出かける。
JR新宿駅南口を出て、徒歩で新宿御苑南門より入る。

入ると直ぐに、水仙の群生が出迎えてくれる。

そして直ぐに、目的の梅を見る。
新宿御苑には、紅梅、白梅合わせて300本の梅の木があると言う。


ロウバイの木もあるが、既に時期を過ぎているようだ。


茶店の前は、沢山の梅の木がある。

丁度良いことに、(東京野菜を入れた)味噌汁が売っているので、ここでお弁当を食べることにする。

味噌汁を買うと、お箸も付いて来たが、持参の折り畳み箸を使う。
(昔、母は海外旅行をする時、必ずMy箸を持参していた。で、食事の時は、「それ何ですか?日本のフォークですか?」と聞かれ、直ぐ、お店の人と仲良くなったことを思い出す。)
梅の木に混ざって、寒桜(だろう)の木も多く見られる。

更に歩いて行くと、福寿草の群生も見られる。


そして、梅の木にメジロ(だろう)が遊んでいたので、慌ててシャッターを切る。

茶室もある。
丁度休みたいと思っていたので、楽羽亭でお抹茶を戴くことにする。

梅の木に囲まれた風情のある茶室だが、お茶券は自動販売機で買う。これもご時世だ。
立礼式で、お菓子もお抹茶も美味しい。

茶室内は撮影自由と言うことでパチリ。


これで、苑内の3分の1ぐらいは歩いただろうか?
勿論、今日全部歩くことは不可能なので帰ることにする。
入口方向に目をやると、周りは新宿のビル群だ。

お天気も良いし、朝食の残り物をお弁当にして、新宿御苑へ梅を見に出かける。
JR新宿駅南口を出て、徒歩で新宿御苑南門より入る。

入ると直ぐに、水仙の群生が出迎えてくれる。

そして直ぐに、目的の梅を見る。
新宿御苑には、紅梅、白梅合わせて300本の梅の木があると言う。


ロウバイの木もあるが、既に時期を過ぎているようだ。


茶店の前は、沢山の梅の木がある。

丁度良いことに、(東京野菜を入れた)味噌汁が売っているので、ここでお弁当を食べることにする。

味噌汁を買うと、お箸も付いて来たが、持参の折り畳み箸を使う。
(昔、母は海外旅行をする時、必ずMy箸を持参していた。で、食事の時は、「それ何ですか?日本のフォークですか?」と聞かれ、直ぐ、お店の人と仲良くなったことを思い出す。)
梅の木に混ざって、寒桜(だろう)の木も多く見られる。

更に歩いて行くと、福寿草の群生も見られる。


そして、梅の木にメジロ(だろう)が遊んでいたので、慌ててシャッターを切る。

茶室もある。
丁度休みたいと思っていたので、楽羽亭でお抹茶を戴くことにする。

梅の木に囲まれた風情のある茶室だが、お茶券は自動販売機で買う。これもご時世だ。
立礼式で、お菓子もお抹茶も美味しい。

茶室内は撮影自由と言うことでパチリ。


これで、苑内の3分の1ぐらいは歩いただろうか?
勿論、今日全部歩くことは不可能なので帰ることにする。
入口方向に目をやると、周りは新宿のビル群だ。

2016.02.20
湯島へ
ふと思い立って、湯島天神へ行くことにする。
湯島天神に着く頃には、雨が降り出していた。
にも拘らず、天神様の前の通りには、何台かの観光バスがとまっている。

‘湯島の白梅’が綺麗に咲いているのだが、バックのビルがちょっと残念。

婦系図を書いた泉鏡花の筆塚がある。

枝垂れ梅も綺麗だ。

湯島天神は菅原道真を祀ってあるということで、合格祈願の絵馬が、鈴なりになっている。

もう2月、お参りに来ている人は、お礼参りだろうか?

雨なので、この時期にしては空いている。
屋台も、殆どのお店が畳んでいる。

梅の盆栽を展示しているが、もう散り始めている。
今日来て良かったようだ。

帰りは、男坂から降りようか?
あまりにも急だから、私には無理なようだ。

隣りの、女坂を降りる。

女坂を降りると、古くから営業している‘よろずや’と言う(魚の)味噌漬け屋さんがある。
せっかくここまで来たのだから、買って帰ることにする。

このお店の味噌漬けは、注文してから味噌に漬けてくれる。
なので、買ってきてから4~5日経ってから食べることになるので、今日食べると言う訳にはいかない。
また少し歩いて表通りに出ると、‘鶴瀬’と言う和菓子屋さんがある。
古くからやっているお店で、母もこのお店を知っている。
お土産に、桜餅、黄身時雨、梅餅を(2個ずつ)買う。(ちょっと多すぎるかな?@@)

そして昼食は、上野の‘井泉’(トンカツ屋)へ行く。
何と、この雨にも拘らず行列が出来ている。
(私は一人だったせいか、あまり待たずに座れる。)
今日は珍しく、3色サンドを頼む。
コーヒーはないので、トン汁を頼む。

サンドイッチとトン汁って、結構合う。^^
湯島天神に着く頃には、雨が降り出していた。
にも拘らず、天神様の前の通りには、何台かの観光バスがとまっている。

‘湯島の白梅’が綺麗に咲いているのだが、バックのビルがちょっと残念。

婦系図を書いた泉鏡花の筆塚がある。

枝垂れ梅も綺麗だ。

湯島天神は菅原道真を祀ってあるということで、合格祈願の絵馬が、鈴なりになっている。

もう2月、お参りに来ている人は、お礼参りだろうか?

雨なので、この時期にしては空いている。
屋台も、殆どのお店が畳んでいる。

梅の盆栽を展示しているが、もう散り始めている。
今日来て良かったようだ。

帰りは、男坂から降りようか?
あまりにも急だから、私には無理なようだ。

隣りの、女坂を降りる。

女坂を降りると、古くから営業している‘よろずや’と言う(魚の)味噌漬け屋さんがある。
せっかくここまで来たのだから、買って帰ることにする。

このお店の味噌漬けは、注文してから味噌に漬けてくれる。
なので、買ってきてから4~5日経ってから食べることになるので、今日食べると言う訳にはいかない。
また少し歩いて表通りに出ると、‘鶴瀬’と言う和菓子屋さんがある。
古くからやっているお店で、母もこのお店を知っている。
お土産に、桜餅、黄身時雨、梅餅を(2個ずつ)買う。(ちょっと多すぎるかな?@@)

そして昼食は、上野の‘井泉’(トンカツ屋)へ行く。
何と、この雨にも拘らず行列が出来ている。
(私は一人だったせいか、あまり待たずに座れる。)
今日は珍しく、3色サンドを頼む。
コーヒーはないので、トン汁を頼む。

サンドイッチとトン汁って、結構合う。^^
2016.02.19
めばるの味噌漬けランチ
昼食は、散歩がてら外で食べることが多い。
なるべくカウンターのあるお店へ行き、お店の人とお話が出来るところを選ぶようにしている。
今日は、友人が教えてくれた、和食のお店へ行き、カウンターに座る。
案の定、お店の人が話しかけてくれる。
ランチのメニューも、目の前に置かれたメニューに書かれてないものも案内してくれる。
‘黒めばるの味噌漬け定食’を注文する。
勿論これに、ご飯とみそ汁が付く。(おかわり自由だ。)

食べていると、女性が3人で入ってくる。(多分、皆80歳過ぎ。)
最近、このような和食のお店に行くと、高齢の女性が多く来ている。
この中の一人の女性も、メニューに無い‘イワシの塩焼き定食’を注文している。
そして、3人ともご飯は‘八穀米’を頼んでいる。健康に気を付けているから元気なのだろうか。
食べ終えて、箸袋を見るとカワハギの由来が書かれている。

【皮剥】カワハギ
「皮剥」の字のごとく簡単に皮を剥げる所から命名されたそうです。釣りの対象魚として人気が高く奥深さと難しさから、かえって熱中してしまう人を、「一度はかかるカワハギ病」と呼ばれています。
「この箸袋、持って帰って良いですか?」
「どうぞどうぞ、この箸袋を(魚が変わる都度)集めているお客さんもいらっしゃいますよ。」
追加で、100円払うとコーヒーが飲めると言うので追加する。
100円と言えども、雰囲気のある器に入って来て味も美味しい。
良いお店を紹介してもらった。
なるべくカウンターのあるお店へ行き、お店の人とお話が出来るところを選ぶようにしている。
今日は、友人が教えてくれた、和食のお店へ行き、カウンターに座る。
案の定、お店の人が話しかけてくれる。
ランチのメニューも、目の前に置かれたメニューに書かれてないものも案内してくれる。
‘黒めばるの味噌漬け定食’を注文する。
勿論これに、ご飯とみそ汁が付く。(おかわり自由だ。)

食べていると、女性が3人で入ってくる。(多分、皆80歳過ぎ。)
最近、このような和食のお店に行くと、高齢の女性が多く来ている。
この中の一人の女性も、メニューに無い‘イワシの塩焼き定食’を注文している。
そして、3人ともご飯は‘八穀米’を頼んでいる。健康に気を付けているから元気なのだろうか。
食べ終えて、箸袋を見るとカワハギの由来が書かれている。

【皮剥】カワハギ
「皮剥」の字のごとく簡単に皮を剥げる所から命名されたそうです。釣りの対象魚として人気が高く奥深さと難しさから、かえって熱中してしまう人を、「一度はかかるカワハギ病」と呼ばれています。
「この箸袋、持って帰って良いですか?」
「どうぞどうぞ、この箸袋を(魚が変わる都度)集めているお客さんもいらっしゃいますよ。」
追加で、100円払うとコーヒーが飲めると言うので追加する。
100円と言えども、雰囲気のある器に入って来て味も美味しい。
良いお店を紹介してもらった。
2016.02.17
神田をぶらぶら
神田をぶらぶら歩く。
美土代町辺りにさしかかると、町名由来の看板が立っている。

急ぐ訳では無いので、興味深く読んでみると、こんなことが書かれていた。
江戸時代、この地域一帯は身分の高い武士たちの屋敷が立ち並んでいました。特に元禄年間(1688~1804)には、五代将軍徳川綱吉の側近として活躍した柳沢吉保が屋敷を構えていました。そのほか、老中や若年寄を輩出した由緒正しい武士が屋敷を連ねていたこともはっきりしています。
一方、この界隈には武家屋敷だけでなく、商人や職人が住む町屋もありました。なかには、商売上手なアイデアマンも少なくなかったようで、湯女を置く「丹前風呂」が始まったのも、この周辺だったからなのです。江戸時代の美土代町周辺は重要な武家屋敷地であると同時に、新たな風俗・流行を生み出すことも出来る、懐の深い街だったと言えるでしょう。
そんな町に美土代町と言う名が付いたのは、明治五年(1872)のことです。かって、この周辺に伊勢神宮にささげるため稲(初穂)を育てる水田「みとしろ」があった故事にちなんで生まれた名前でした。ちなみに、神田と言う名前も同じ故事に従ってつけられたとされています。現在の神田美土代町が誕生したのは昭和二十二年(1947)のことでした。
ん~、丹前とは懐かしい言葉だ。昔、どてらと言っていたのを思い出す。
さらに、ぶらぶらと歩いていると、‘いきなりステーキ’ののぼりが目に入る。(立ち食いステーキやだ。)
丁度お昼(少し前)だったので、入ってみる。
「お薦めはどれですか?」
「300gは多いかも知れません。女性の方は、200gを召しあがる方が多いです。」
「では、それでお願いします。」

なるほど、私には200gで十分だ。
ご飯は残してしまう。(少なく、と言えばよかった。)
これで、ランチ1,000円。
美土代町辺りにさしかかると、町名由来の看板が立っている。

急ぐ訳では無いので、興味深く読んでみると、こんなことが書かれていた。
江戸時代、この地域一帯は身分の高い武士たちの屋敷が立ち並んでいました。特に元禄年間(1688~1804)には、五代将軍徳川綱吉の側近として活躍した柳沢吉保が屋敷を構えていました。そのほか、老中や若年寄を輩出した由緒正しい武士が屋敷を連ねていたこともはっきりしています。
一方、この界隈には武家屋敷だけでなく、商人や職人が住む町屋もありました。なかには、商売上手なアイデアマンも少なくなかったようで、湯女を置く「丹前風呂」が始まったのも、この周辺だったからなのです。江戸時代の美土代町周辺は重要な武家屋敷地であると同時に、新たな風俗・流行を生み出すことも出来る、懐の深い街だったと言えるでしょう。
そんな町に美土代町と言う名が付いたのは、明治五年(1872)のことです。かって、この周辺に伊勢神宮にささげるため稲(初穂)を育てる水田「みとしろ」があった故事にちなんで生まれた名前でした。ちなみに、神田と言う名前も同じ故事に従ってつけられたとされています。現在の神田美土代町が誕生したのは昭和二十二年(1947)のことでした。
ん~、丹前とは懐かしい言葉だ。昔、どてらと言っていたのを思い出す。
さらに、ぶらぶらと歩いていると、‘いきなりステーキ’ののぼりが目に入る。(立ち食いステーキやだ。)
丁度お昼(少し前)だったので、入ってみる。
「お薦めはどれですか?」
「300gは多いかも知れません。女性の方は、200gを召しあがる方が多いです。」
「では、それでお願いします。」

なるほど、私には200gで十分だ。
ご飯は残してしまう。(少なく、と言えばよかった。)
これで、ランチ1,000円。
2016.02.13
ひな祭り会
2016.02.11